担当と名乗ってきた人のはなし
そもそも私がいつジャニヲタの道を歩き始め、神ちゃん(普段はこのように呼んでいます)の担当になろうと決めたターニングポイントはいつなのか?という点についてお話ししよう。
だがしかし、長くなるであろう今記事では、私が神山担に至るまでの歴代の担当についての話をしようと思う。簡潔にまとめようと努力したということは頭の片隅にでも置いておきながら読んでほしい。
ジャニーズの存在に触れる
ジャニヲタになる以前からジャニーズの存在はもちろん知っていたし、テレビ番組や雑誌などでもよく見かけていたが、特にこれと言った感情も湧かずにいた。しかし小学校の頃に嵐が絶大的なブームになり、学校内でも嵐の話が毎日のように飛び交うほどで、実際に私の母も何枚かアルバムを買っていたのであった。
皆が口々に嵐だなんだと言うので、私も波に飲まれ、少しではあるが番組を追ったり雑誌を見るようになった。「松潤がかっこいい!」やら、「この曲めっちゃ好き!」などと、今でいう茶の間ファンになった訳である。
ジャニヲタへの経緯
そんな私が歴としたジャニヲタの世界に引きずり込まれたのは2011年の2月頃である。
小学校の運動会で踊った " Hey!Say!JUMP " の Dreams come ture が印象に残っており色々と調べていたらそのままJUMPの沼へ嵌ってしまったという成り行きだ。毎日のように出演したドラマを見たり、曲を聞いたりしていた。
当時は絶対的エースの山田涼介くんから入り、そして知念担として応援していこうと心に決めた。この頃からテレビ番組やアイドル雑誌などを追うようになり、初めて自分のお金でCDを購入したのである。
大きな転機
これまで知念担として活動していた私に大きな転機が訪れたのだ。
それは友人に誘われたSexy Zoneのコンサートである。「一緒に行く人がいないから着いてきてくれない?」と言われ、断る理由もなくすんなりと承諾した。
元々Sexy Zoneに興味はあったものの◯◯くん一番好き!などは無く、デビューしたから軽く応援しようかな〜くらいの気持ちであった。しかし、コンサートに行くと言うならば、やはり誰を見るのかを決めなければならない。そのように考えた私は悩みに悩んで、かの有名なラブホリ先輩を見ることに決めた。一緒に行く友人にも「私明日だけは中島担だからね!」などと完全にノリ気であった。
まるで自担を見るかのようにまじまじと双眼鏡なども使用して見ていたので、終わった頃にはラブホリ先輩の虜になっていたのだ。まさかこんなことになるなんて思ってもいなかったが、友人に話すと大歓迎され、この日から晴れて中島担になったのである。
掛け持ちの時期
私にだって掛け持ちをしていた時期もあり、それは言うまでもない知念担と中島担である。
なんだ!すんなり担降りしたんじゃなかったのか!とお思いの方もいるであろうが、やはり知念くんへの想いが冷めていた訳ではなかった為、掛け持ちという形態を取るしか無かったのだ。
しかし、掛け持ちであるが故にお金にも余裕が無くなり、コンサートなども控えて茶の間を楽しんでいた。
掛け持ちなんて嫌だ
気がつけばいつの間にか、ラブホリ先輩への熱量がついに知念くんを超えてしまい、そして中島担オンリーでやっていこうと再度決心したのである。
その他にも掛け持ちを辞めた理由はあり、それは学校の先輩からの陰口だった。しかし思い出すと不快感に襲われるのでここには書き留めないでおく。神担やら担当やら副担などといった、ありとあらゆる業界用語を駆使している自分かっこいい!と思っていた当時の私を誰かブン殴って来てくれ...
コロコロ気の変わる女だと言われても仕方ない、私は熱しやすく冷めやすいのだから。今となっては掛け持ちでも全く問題はないのだが、同等の熱量を注げる自信がなく、また金銭的にも大変な為に一人担当制度を貫いている。
今記事はここまでにしておこう。さて、次記事ではいよいよ私が神山智洋くんに降りた経緯をお話ししようと思う。